【昨日の読書〜壊れる日本人〜】
★焼酎、シングルモルト、佐多宗二商店、映画、読書、U2、THE POLICE、MS-06Sが大好きなおやじの雑記帳★
▼皆が壊れりゃそれが普通になってしまうのか?
案外、正常な人が異常と思われているのかもしれない。
壊れる日本人―ケータイ・ネット依存症への告別 (新潮文庫 や 8-20) 壊れる日本人―ケータイ・ネット依存症への告別 (新潮文庫 や 8-20)
柳田 邦男 (2007/10)
新潮社

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柳田邦男の本は頻繁に読む。
この著者の言葉の言い回しと言うか、言葉の使い方と言うか、非常に好きでしっくり来る。
以前から読みたいと思っていた本なのだ。

以前読んだ「デキる女とダメな男の脳習慣」に通じるところもある。

著者は効率だけを追求する現代に警告を鳴らしている。
私も同感している部分が多い。
非効率なものは悪いという価値観・・・絶対に近い将来痛い目にあるのであろう・・・実はもうあっているのか?

「ノー携帯デー」「ノーパソコンデー」「ノー電子機器デー」の必要性を説いている。
何でも検索すれば情報を入手できる時代、確かにいろいろなことが便利になったが、その反面失ってきたものもたくさんある。
それは「向き合う姿勢」なのだろう。
人と人が対面して話をする・・・そんな人間として基本的なことすらもどんどん薄れていこうとしている。

携帯電話、携帯メール、電子メール、インターネット、ブログ、電子掲示板等々、一昔前にはこんなものなかった(自分では使っていなかった)にも関わらず、今ではそれがないとあたかも生活できないような状態になっている。

長時間のテレビやゲームも特に子供の成長には悪影響を及ぼすらしい。

ちょっと過去を振り返ってみると、私は昭和40年生まれだが、私が小学生、中学生、高校生の時には携帯電話もパソコンも私の手元にはなかった。
やっと大学生になって大型コンピューターを使って演算をやっていた程度だ。それも紙に穴が開いたやつで・・・今考えると何だったのか?

一方、今の小学生、中学生、高校生、大学生も含まれるのか?生まれた時から多くの家庭には携帯電話とパソコンはある。(であろう)

ものが存在すれば人はそれを使う。
携帯電話や電子メールを使った人とのコミュニケーションを当たり前だと思っている人がいるのも当然だろう。
それがないと生活できない・・・そんな人もいるのかもしれない。

少なくとも私はちょっと違う見方をしている。
私の世代は丁度過渡期であり、電子機器が無かった時代とその中間期と現在の状況を見てきている。

全くおやじ談義になっているが、携帯電話にしても電子メールにしても無くても生活はできた。
普通に公衆電話で連絡を取って、手紙を書いて返事を待った。

今では公衆電話を使うことも殆ど無くなり、手紙を書くことも少なくなった。

何が変わったのか?
それは「待てなくなった」のであろう。
誰かと連絡を取るにしても、その瞬間に連絡を取りたい、返事が欲しい、声を聞きたい、今!ボタンひとつだ。

携帯に連絡しても出ない、メールを送信しても返信が無い、そんなことにイライラすることも多々ある。
でもそれってよくよく考えるとちょっとピントが違うような気もする。

一昔前なら、彼女に手紙を出して一週間で返事が来れば早い方だった。
その待っている時間が何かワクワク感があったりして楽しかったりもした。(古い話だが)

ところが今は違う。
送信した数分後に返事が戻ってくるケースも多々ある。

「私のこと好きですか?」・・・「大嫌い!」

そんなメールもこの世に存在するのかもしれない。

想像力を使う時間も許されないのか?

街を見渡せば、殆どの人が携帯電話を持っていて、待ち時間や歩きながらでも携帯電話の画面を見ている人が多い。

私の疑問なのだが、彼ら彼女らは一体何を見ているのであろうか?
そんな朝っぱらから誰と連絡を取っているのであろうか?
そこの40過ぎのサラリーマン!電車の中で誰にメールを送信しているの?
そんなに連絡を取らなければならない人がそんなに皆さんいるの?

ある日、交差点で人間ウォッチングをしたことがある。
信号が赤になった時、人はどのような行動をするのか?黙って見ていた。
すると、大半の人が自分の携帯電話をポケットから取り出して画面を見ているのだ。
おそらく着信やメールが届いていないか確認しているのであろう。
そんなに着信やメールが重要なのであろうか?

これもある日、ある女性と食事をしていると彼女はこんなことを話し出したのだ。
彼女曰く、「着信もメールも来ない日は不安で仕様がない。私だけ退けもにされて悪口言われているようなことばかり考えてしまう・・・KATANAさんもそんなことありませんか?」
私:「無い」
むしろ、静かな一日で良さそうな気がするのだが、どうも違うらしい。
私から言わせれば、一種の精神病だ。・・・妄想だ。
そんなに着信やメールがその人には重要なのか?
繰り返しになってしまうが、私には理解できない。

何事も早く、安く、効率的に、効果的にやってね!
そんなことばかり優先してきた反面、人間は壊れているのかもしれない。
所詮、人間はアナログなのだ。

計器やモニターばかりに依存して安全を確保しているつもりでも、いざという時一番役に立つのは「人間が持っている感」の場合も多々ある。

非効率なことは本当に悪いのか?
効率的なことは本当に良いのか?

使い分けができればベストなのだが、今の日本、極端に偏っているような気がしてならない。

善と悪、プラスとマイナス、上と下、右と左・・・本来、日本人って結構あいまいなところでうまくやっていたような気がするのですが・・・

余談だが、私は昔からあまりテレビも見ないし(映画を除く)、ゲームは全くしないし、その面白さもあまり感じない。
従って、我が家ではテレビが点いている時間は一日の内でも1時間あるかないかであろう。
勿論、ゲームは無い。

先日、あるレストランで異様な光景を見た。
ある家族がテーブルに座っていた。
父親、母親、長男と長女であろうか。
子供2人はゲームに熱中し、親の2人は携帯電話に熱中していた。
勿論、会話など存在しない。

これを正常だと言っていいのだろうか。

以前から何度も書いた文面だが、親がバカなのである。
いや、もうバカを通り越して何も気付かない、何も気にしない思考停止人間になってしまっているのかもしれない。
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