【昨日の読書〜「檸檬」梶井基次郎〜】
★焼酎、シングルモルト、佐多宗二商店、映画、読書、U2、THE POLICE、MS-06Sが大好きなおやじの雑記帳★
▼本棚を整理していたらこの本が出てきた。懐かしい〜高校生の時に買った本だ。
しかしながら、「檸檬」の日本語って本当に無駄が無い。
檸檬 (集英社文庫)檸檬 (集英社文庫)
(1991/05)
梶井 基次郎

商品詳細を見る

e_01←ひとつクリッとお願いします!
「檸檬」はレモンと読む。
読めました?当たり前ですか?

梶井 基次郎(かじい もとじろう、男性、1901年2月17日 - 1932年3月24日)。
肺結核のため死去。享年31。
自らの病気のことを題材にしている作品が多い。

1925年1月、同人誌『青空』の創刊号に発表された。
現在では梶井基次郎の代表作ではあるが、当時は静かに一同人誌に発表されただけだった。

梶井基次郎は元々、理工系の頭脳の持ち主なのだ。

こんな文で始まる。


えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦躁(しょうそう)と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔(ふつかよい)があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。

生活がまだ蝕(むしば)まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落(しゃれ)た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色(ひすいいろ)の香水壜(こうすいびん)。煙管(きせる)、小刀、石鹸(せっけん)、煙草(たばこ)。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。

その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬(れもん)が出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあの檸檬が好きだ。

その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖(はいせん)を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼(だれかれ)に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱い故(せい)だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。

どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。

「あ、そうだそうだ」その時私は袂(たもと)の中の檸檬(れもん)を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。「そうだ」

変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑(ほほえ)ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉(こっぱ)みじんだろう」
そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩(いろど)っている京極を下って行った。
(全文ではございません)



偶然にも昨日の日本経済新聞の朝刊の春秋に檸檬のことが書いてあった。

来春から使われる高校3年生用の教科書検定で、「檸檬」の文章に添えられた当時の丸善の写真から看板の部分が削り取られたそうだ。
文部科学省の見解では、「特定の営利企業の宣伝になる可能性がある」とのことです!

くだらない。

具体的に言うと、「檸檬」の舞台になったのは現在の丸善京都河原町店。

だから今更何なのよって感じだ。役人は何を考えているのやら。

そんなことより、京都に行った時に、「この場所が檸檬の舞台になった場所なんだ」と思いを馳せてもらうことの方がよっぽど重要だと思う。

誰が営利目的だと思うのであろうか。
逆に、学生が正確な情報を知る権利を奪ってはいないだろうか。

その一枚の写真に写った看板が醸し出す、時の流れ、人の流れ、世の流れ、情緒を奪っているのだ。人の心を奪ってしまっているのだ。

確かに当時、梶井基次郎は京都に住んでいたのだが、「檸檬」の元になった出来事は東京だったらいいのだ。東京の話を京都に置き換えたという経緯がどうもあるらしい。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する