▼台詞のある登場人物は4人だけ、男2人、女2人の人生が交錯する。
NYからロンドンにやってきたストリッパー役のナタリー・ポートマンのための映画だった。
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NYからロンドンにやってきたストリッパー役のナタリー・ポートマンのための映画だった。
![]() | クローサー (2007/05/23) ジュリア・ロバーツ、ジュード・ロウ 他 商品詳細を見る |
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写真家役のジュリア・ロバーツ、小説家役のジュード・ロウ、ストリッパー役のナタリー・ポートマン(レオンのマチルダ役)、医者役のクライブ・オーウェンの4人の恋愛物語。
と言うか、この4人によるスワッピングの映画?
さすがR-15指定。
しかし、映画の中にはSEXシーンは存在しない。
言葉による描写が多く、かえっていやらしさを感じる。
配役は申し分ないのだが、唯一、ジュリア・ロバーツが・・・他の役者に負けていた。
情けない自己中心的性格のナルシストを演じるのがジュード・ロウだ。
真実の愛を追い求めるが、それが本当に真実なのか?結局、相手を信頼できない男。
この映画の中の男達は常にSEXのことを考えている。
相手への愛の深さと大きさをそれを定規にして量っているのだ。
「あいつとやったのか?やってないのか?何回やったのか?何処でやったのか?お前はどうだったのか?俺と比べてあいつはどうなんだ?」等々の疑問点を女性に投げ掛けるのであった。
その真実を知ることが相手を知ることであり、真実を追い求める正義であった。
そう考えると「男って、単細胞でおバカさん」に思えて滑稽になってくる。
しかしながら、所詮、人間って、男っていうのはそんなものなのかもしれない。
この映画の中で描かれているエゴ、独占欲、束縛、自分勝手さは生活の中の何処にでも実は存在しているものなのかもしれない。
この映画の中で度肝を抜く演技を見せたのがナタリー・ポートマンだった。
彼女の演技は観ていただいた方がいい。
アリス・エアーズ、ナタリー・ポートマンが演じるストリッパー役の名前。
それはロンドンだけの名前だった。
人助けをして犠牲になった人の名前を偶然見た時に名前をパクっている。
エンディングを観て、もう一度オープニングから15分ぐらいを観返すとナタリーの演技でそれがわかる仕組みになっていた。
結局、ジュード・ロウが演じる小説家は自分が愛する(愛していると思っている)女性の本名も知らずにいた訳だ。彼女のことを何でも知っているつもりが、実は何も知らなかったことに最後に気付くのであった。
ラストシーン、NYの街を颯爽と歩くナタリー・ポートマン。
独占欲や束縛から解放されて自由に生きている姿が描かれている。
ロンドンでは街を歩いていても誰も振り向きはしなかったが、生まれ変わった自由な彼女をNYの男性達は振り返り、その魅力を確認していた。
束縛とエゴを受け入れ、愛に生きる女性が写真家役のジュリア・ロバーツ。
束縛とエゴから開放されて、自由に生きる女性がナタリー・ポートマン。
果たしてどっちの女性の生き方がいいのか?悪いのか?
それはどちらも正解であるのであろう。
どちらかと言うと日本人女性の場合、傾向としてはジュリア・ロバーツ派か?
(こんなことを書くと何処かから苦情のメールが来るかもしれないが)
この映画、恋人や妻とは、と言うか男性は特に女性とは観ない方がいいかもしれない。
この映画は女性が観る映画だと感じたからだ。
「やった、やってない」の話をする男性はむしろロボットのように描かれ、女性はその一般化された男性の欲求をどのように感じて、自分のためになるように対応しなければならないのかを考えさせようとした映画だと思っている。
それ故に「やった、やってない論」に「そんな男ばかりじゃないよ!この映画は偏っているよ!」などと意見する男性は不要なのである。
それこそ愚問ということになる。
そんな質問ばかりしていると女性から「男って本当バカで子供なのよね」と言われ続けられるのであろうか。
もうひとつ背景にあるのが「孤独」だった。
男性は女性を求めるが、それが本当の愛なのかどうかの確認に苦しんでいる。
ただ単に自分の寂しさを紛らわすために相手を求めているのか?どうか。
この映画の中の男は常に甘えん坊であり、マザコン傾向が強い。
言い方を変えると、精神的に自立していない男性だ。
自分の孤独を紛らわそうとすることを愛だと勘違いしてしまった時、不幸が訪れるのであろう。
本当の愛とは、何もしないことが一番大切なことであるケースもあるのだ。
くどいが、ナタリー・ポートマンは最高だった。
何が最高?
勿論、彼女の演技です。
▼今後、DVD化が心待ちにされているのが「ラスト、コーション」でしょう。
監督はアン・リー。出演している俳優はトニー・レオンとタン・ウェイだ。
▼それで毎度のトニー・レオンなのだ。どうせまゆ毛だけでしょ?(下の写真だと右の人)

先日からこれまたとある人に「KATANAさってトニー・レオンに似てますよね」って言われ続けている。
これまた先日からこれまたとある人に「KATANAさんって、役所広司、石田純一とか言われるけど、やっぱ似てないわ。後藤田!後藤田!」っても言われている。
結局、誰かに似ているかって情報は自分のためでなく、他人のために必要なのよね。
誰かが誰かに情報を伝達しやすくするためのネタでしょね。
私は誰に似ていてもいいのですが、妻には「怪物くん」、娘には「関口宏」と言われたことは正直ショックであったのだった。「関口宏」???
たままた、テレビに映っていただけやろが!!!にょ。
と言うか、この4人によるスワッピングの映画?
さすがR-15指定。
しかし、映画の中にはSEXシーンは存在しない。
言葉による描写が多く、かえっていやらしさを感じる。
配役は申し分ないのだが、唯一、ジュリア・ロバーツが・・・他の役者に負けていた。
情けない自己中心的性格のナルシストを演じるのがジュード・ロウだ。
真実の愛を追い求めるが、それが本当に真実なのか?結局、相手を信頼できない男。
この映画の中の男達は常にSEXのことを考えている。
相手への愛の深さと大きさをそれを定規にして量っているのだ。
「あいつとやったのか?やってないのか?何回やったのか?何処でやったのか?お前はどうだったのか?俺と比べてあいつはどうなんだ?」等々の疑問点を女性に投げ掛けるのであった。
その真実を知ることが相手を知ることであり、真実を追い求める正義であった。
そう考えると「男って、単細胞でおバカさん」に思えて滑稽になってくる。
しかしながら、所詮、人間って、男っていうのはそんなものなのかもしれない。
この映画の中で描かれているエゴ、独占欲、束縛、自分勝手さは生活の中の何処にでも実は存在しているものなのかもしれない。
この映画の中で度肝を抜く演技を見せたのがナタリー・ポートマンだった。
彼女の演技は観ていただいた方がいい。
アリス・エアーズ、ナタリー・ポートマンが演じるストリッパー役の名前。
それはロンドンだけの名前だった。
人助けをして犠牲になった人の名前を偶然見た時に名前をパクっている。
エンディングを観て、もう一度オープニングから15分ぐらいを観返すとナタリーの演技でそれがわかる仕組みになっていた。
結局、ジュード・ロウが演じる小説家は自分が愛する(愛していると思っている)女性の本名も知らずにいた訳だ。彼女のことを何でも知っているつもりが、実は何も知らなかったことに最後に気付くのであった。
ラストシーン、NYの街を颯爽と歩くナタリー・ポートマン。
独占欲や束縛から解放されて自由に生きている姿が描かれている。
ロンドンでは街を歩いていても誰も振り向きはしなかったが、生まれ変わった自由な彼女をNYの男性達は振り返り、その魅力を確認していた。
束縛とエゴを受け入れ、愛に生きる女性が写真家役のジュリア・ロバーツ。
束縛とエゴから開放されて、自由に生きる女性がナタリー・ポートマン。
果たしてどっちの女性の生き方がいいのか?悪いのか?
それはどちらも正解であるのであろう。
どちらかと言うと日本人女性の場合、傾向としてはジュリア・ロバーツ派か?
(こんなことを書くと何処かから苦情のメールが来るかもしれないが)
この映画、恋人や妻とは、と言うか男性は特に女性とは観ない方がいいかもしれない。
この映画は女性が観る映画だと感じたからだ。
「やった、やってない」の話をする男性はむしろロボットのように描かれ、女性はその一般化された男性の欲求をどのように感じて、自分のためになるように対応しなければならないのかを考えさせようとした映画だと思っている。
それ故に「やった、やってない論」に「そんな男ばかりじゃないよ!この映画は偏っているよ!」などと意見する男性は不要なのである。
それこそ愚問ということになる。
そんな質問ばかりしていると女性から「男って本当バカで子供なのよね」と言われ続けられるのであろうか。
もうひとつ背景にあるのが「孤独」だった。
男性は女性を求めるが、それが本当の愛なのかどうかの確認に苦しんでいる。
ただ単に自分の寂しさを紛らわすために相手を求めているのか?どうか。
この映画の中の男は常に甘えん坊であり、マザコン傾向が強い。
言い方を変えると、精神的に自立していない男性だ。
自分の孤独を紛らわそうとすることを愛だと勘違いしてしまった時、不幸が訪れるのであろう。
本当の愛とは、何もしないことが一番大切なことであるケースもあるのだ。
くどいが、ナタリー・ポートマンは最高だった。
何が最高?
勿論、彼女の演技です。
▼今後、DVD化が心待ちにされているのが「ラスト、コーション」でしょう。
監督はアン・リー。出演している俳優はトニー・レオンとタン・ウェイだ。
![]() | ラスト、コーション 色・戒 (集英社文庫 チ 5-1) (集英社文庫 チ 5-1) (2007/12/14) アイリーン・チャン 商品詳細を見る |
▼それで毎度のトニー・レオンなのだ。どうせまゆ毛だけでしょ?(下の写真だと右の人)

先日からこれまたとある人に「KATANAさってトニー・レオンに似てますよね」って言われ続けている。
これまた先日からこれまたとある人に「KATANAさんって、役所広司、石田純一とか言われるけど、やっぱ似てないわ。後藤田!後藤田!」っても言われている。
結局、誰かに似ているかって情報は自分のためでなく、他人のために必要なのよね。
誰かが誰かに情報を伝達しやすくするためのネタでしょね。
私は誰に似ていてもいいのですが、妻には「怪物くん」、娘には「関口宏」と言われたことは正直ショックであったのだった。「関口宏」???
たままた、テレビに映っていただけやろが!!!にょ。


