▼昨日だったか、一昨日だったか、出張先で見掛けた新聞での一枚の写真・・・四川省大地震。

地震が発生して72時間以上経過しても、ご自身の生命力と精神力で救出される方もいらっしゃる中、弱い者、子供達に対してはあまりにも残酷すぎた。
正確な小学校の名前は知らないのだが、ある小学校では校舎が全壊し、授業中の小学生全員が生き埋めになった。必死な救出活動が執り行われたものの、現実は厳しかった。
毎日新聞はあえてこの一枚の写真を新聞に掲載したそうだ。
この小さい手の子供は残念ながら亡くなっている。手にしっかりと握り締められたペン。
この一枚の写真から私達、大人は何を感じ取らなければならないだろうか。
←ひとつカチッとお願いします!

地震が発生して72時間以上経過しても、ご自身の生命力と精神力で救出される方もいらっしゃる中、弱い者、子供達に対してはあまりにも残酷すぎた。
正確な小学校の名前は知らないのだが、ある小学校では校舎が全壊し、授業中の小学生全員が生き埋めになった。必死な救出活動が執り行われたものの、現実は厳しかった。
毎日新聞はあえてこの一枚の写真を新聞に掲載したそうだ。
この小さい手の子供は残念ながら亡くなっている。手にしっかりと握り締められたペン。
この一枚の写真から私達、大人は何を感じ取らなければならないだろうか。
←ひとつカチッとお願いします!
今回の地震、阪神淡路大震災のエネルギーの約20倍。
いくら耐震補強を施した建物であっても、それなりのダメージを受けることは想定できる。
しかしながら、今回の四川省、四川省と言ってもあまりにも広範囲だが、質が酷い。
過去に中国で過去に発生した八大地震と言えば以下の通りだ。
1.河北・シン台地震 1966年3月8日 M6.8 震源震度10km
2.雲南・通海地震 1970年1月5日 M 7.2 震源震度13km
3.四川・炉霍地震 1973年2月6日 M 7.7 震源震度17km
4.雲南・昭通地震 1974年5月11日 M 7.9 震源震度14km
5.遼寧・海城地震 1975年2月4日 M 7.1 震源震度12km
6.雲南・龍陵地震 1976年5月29日 M 7.8 震源震度24km
7.河北・唐山地震 1976年7月28日 M 7.2 震源震度22km
8.四川・松潘地震 1976年8月16日 M 7.2 震源震度24km
これだけの地震が発生していながら、耐震補強、建築基準の見直しがどうしてあそこまで疎かなのか、正直言って理解できない。
しかしながら、都市部は被害はあるものの、建物が全壊するような被害は少ないと聞く。
壊滅的な被害を受けているのは、地方地域だ。
全壊した建物を写真で見ても、とても耐震補強を施せるような建物ではない。
おそらく、補強するよりも建替えしなければならない建物がほとんどであろう。
国、地方、住民等々それぞれの認識がどうであったのかは私にはわからない。
ただ、ひとつだけ言えることは、今回の地震による被害の拡大、弱者である子供達を守れなかった重大な責任は、大人にあることだ。
どうして、もっと勉強したいと訴えかけてくる子供を守れなかったのか。
この一枚の写真はそれを私達に訴えている。
私も阪神淡路大震災で友人をひとり亡くしている。
あの地震で友人を亡くす辛さはない。
地震発生後、数日して私も神戸に乗り込んだが、ひとりの人間に対する実際に起きてしまった現実のスケールが違いすぎて、どうしようもなかったのだ。
やりたいことは沢山あるのに、何もできないのだ。
人を助けたい、役に立ちたいと思っていても、現実はそんなものではなかった。
表現の仕方が不適切かもしれないが、夢の世界にいる感じ、現実にこんなことが本当に目の前で起きているのか?と疑問になるほど、信じられない状態、ショック状態なのであろうか?
自分が学生の時に彼女(今の妻とは違いますにょ)と歩いていた道、駅、お茶をよく飲んだ喫茶店、お酒を呑んだ呑み屋さん・・・がないんです。ぐちゃぐちゃで。
食事の後に夜景をよく見に行ったメリケンパークの壊滅的状態を目の当たりにした時のショックは未だに忘れていない。
私は立ち尽くすだけで、泣いていた。
この子供を含め、多くの方が不幸にも亡くなられている。
今、私がこのコメントを書いている最中にも現地では大変な思いをされている方が大勢いる。
私には何もできませんが、亡くなられた方に心よりご冥福をお祈りいたします。
大人がいい加減なことばかりやっていると、いざと言う時に被害を受けるのは子供なのだ。
そんなことを肝に銘じて、事業に携っていきたい。
ほんとう、そんなことしか感じられずに、この亡くなった子供には大変申し訳ないと思っている。
黙祷、合掌・・・ほんとうもうしわけない。ごめんなさいね。
いくら耐震補強を施した建物であっても、それなりのダメージを受けることは想定できる。
しかしながら、今回の四川省、四川省と言ってもあまりにも広範囲だが、質が酷い。
過去に中国で過去に発生した八大地震と言えば以下の通りだ。
1.河北・シン台地震 1966年3月8日 M6.8 震源震度10km
2.雲南・通海地震 1970年1月5日 M 7.2 震源震度13km
3.四川・炉霍地震 1973年2月6日 M 7.7 震源震度17km
4.雲南・昭通地震 1974年5月11日 M 7.9 震源震度14km
5.遼寧・海城地震 1975年2月4日 M 7.1 震源震度12km
6.雲南・龍陵地震 1976年5月29日 M 7.8 震源震度24km
7.河北・唐山地震 1976年7月28日 M 7.2 震源震度22km
8.四川・松潘地震 1976年8月16日 M 7.2 震源震度24km
これだけの地震が発生していながら、耐震補強、建築基準の見直しがどうしてあそこまで疎かなのか、正直言って理解できない。
しかしながら、都市部は被害はあるものの、建物が全壊するような被害は少ないと聞く。
壊滅的な被害を受けているのは、地方地域だ。
全壊した建物を写真で見ても、とても耐震補強を施せるような建物ではない。
おそらく、補強するよりも建替えしなければならない建物がほとんどであろう。
国、地方、住民等々それぞれの認識がどうであったのかは私にはわからない。
ただ、ひとつだけ言えることは、今回の地震による被害の拡大、弱者である子供達を守れなかった重大な責任は、大人にあることだ。
どうして、もっと勉強したいと訴えかけてくる子供を守れなかったのか。
この一枚の写真はそれを私達に訴えている。
私も阪神淡路大震災で友人をひとり亡くしている。
あの地震で友人を亡くす辛さはない。
地震発生後、数日して私も神戸に乗り込んだが、ひとりの人間に対する実際に起きてしまった現実のスケールが違いすぎて、どうしようもなかったのだ。
やりたいことは沢山あるのに、何もできないのだ。
人を助けたい、役に立ちたいと思っていても、現実はそんなものではなかった。
表現の仕方が不適切かもしれないが、夢の世界にいる感じ、現実にこんなことが本当に目の前で起きているのか?と疑問になるほど、信じられない状態、ショック状態なのであろうか?
自分が学生の時に彼女(今の妻とは違いますにょ)と歩いていた道、駅、お茶をよく飲んだ喫茶店、お酒を呑んだ呑み屋さん・・・がないんです。ぐちゃぐちゃで。
食事の後に夜景をよく見に行ったメリケンパークの壊滅的状態を目の当たりにした時のショックは未だに忘れていない。
私は立ち尽くすだけで、泣いていた。
この子供を含め、多くの方が不幸にも亡くなられている。
今、私がこのコメントを書いている最中にも現地では大変な思いをされている方が大勢いる。
私には何もできませんが、亡くなられた方に心よりご冥福をお祈りいたします。
大人がいい加減なことばかりやっていると、いざと言う時に被害を受けるのは子供なのだ。
そんなことを肝に銘じて、事業に携っていきたい。
ほんとう、そんなことしか感じられずに、この亡くなった子供には大変申し訳ないと思っている。
黙祷、合掌・・・ほんとうもうしわけない。ごめんなさいね。

