会社の旅行会だ何だで、最近、家にいる時間が少なかったので、家族に夕食をご馳走した。娘に何がいいと聞くと「チュるるとピザハット」と言っていたのでパスタ屋に出かけた。
普通に会話を楽しいんで、妻の教育論を片耳で聞いて、最後にコーヒーでも飲もうかとウェイトレスを探していると、近くのテーブルから途轍もない声が聞こえてきた。
「○○ちゃんは、何でいつもそうなの!早くしなさい」「早くしなさいって言ってるでしょう」
何を早くしろと言っているのかは、はっきりわからなかったが、多分脱いだ靴を履こうとしていると思う。相変わらず「早く、早く」である。
実は、私、「早く・・・」という言葉は絶対に使わないようにしている言葉の一つである。
妻と私の教育論の中で、唯一共通しているのが、この「早く」を使わないことである。
家の娘はドンくさくて、きびきびした動きができない時がある。例えば、着替えているときに袖にうまく手を通すことができない時や、比較的履きにくいブーツを自分で履いている時などであるが、妻も私も絶対に手を貸さない。本人ができるまで待っている。(緊急の時は別だが)
本人は焦るが、私は何も言わずに待っている。
すると、本人には本人で、何とか私たちと同じスピードで外出できるように段取りを自分で考え出す。
何時になったら出掛けるのか(まだ時計はわからないが)、何処に行くのか、等を必ず気にするようになってくる。
このような事(早く、早く)は、実は家庭だけではなく、一般社会の中で頻繁に起きていることである。
「効率、スピード」だけが優先されて、「ものを考える時間」までも許さなくなってきている。特に子供に考える時間を持たせることが少ない。
親の方が子供を「早く、早く」と追い詰める。
「ゆとり教育」ということがもてはやされた時代もあったが、「ゆとり」の意味を完全に履き違えてしまったために現状のような教育荒廃がある。
私が当初「ゆとり教育」という名前を聞いた時には、「子供に考えるゆとり」を与えるとばかり理解していた。実態は「スケジュールのゆとり」だった。本末転倒である。何をしているのか?
子供に考える時間を与えないと、キレテしまう。
同然だろうそれだけのプレッシャーに耐えられるだけの精神力はまだ育まれていない。
最近、同じような光景を様々な場面で見る。
率直に言って、「親、大人が悪い」
子供がかわいそうでしょうがない。
家の娘はドンくさくて、きびきびした動きができない時がある。例えば、着替えているときに袖にうまく手を通すことができない時や、比較的履きにくいブーツを自分で履いている時などであるが、妻も私も絶対に手を貸さない。本人ができるまで待っている。(緊急の時は別だが)
本人は焦るが、私は何も言わずに待っている。
すると、本人には本人で、何とか私たちと同じスピードで外出できるように段取りを自分で考え出す。
何時になったら出掛けるのか(まだ時計はわからないが)、何処に行くのか、等を必ず気にするようになってくる。
このような事(早く、早く)は、実は家庭だけではなく、一般社会の中で頻繁に起きていることである。
「効率、スピード」だけが優先されて、「ものを考える時間」までも許さなくなってきている。特に子供に考える時間を持たせることが少ない。
親の方が子供を「早く、早く」と追い詰める。
「ゆとり教育」ということがもてはやされた時代もあったが、「ゆとり」の意味を完全に履き違えてしまったために現状のような教育荒廃がある。
私が当初「ゆとり教育」という名前を聞いた時には、「子供に考えるゆとり」を与えるとばかり理解していた。実態は「スケジュールのゆとり」だった。本末転倒である。何をしているのか?
子供に考える時間を与えないと、キレテしまう。
同然だろうそれだけのプレッシャーに耐えられるだけの精神力はまだ育まれていない。
最近、同じような光景を様々な場面で見る。
率直に言って、「親、大人が悪い」
子供がかわいそうでしょうがない。
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