【昨日の読書〜「偽善エコロジー」〜】
★焼酎、シングルモルト、佐多宗二商店、映画、読書、U2、THE POLICE、MS-06Sが大好きなおやじの雑記帳★
▼「偽善エコロジー」・・・確かに科学的根拠に基づいて書かれていない部分もあるが、基本的全体的な考え方はほぼ私と同一であると思っている。
偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する (幻冬舎新書 (た-5-1))偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する (幻冬舎新書 (た-5-1))
(2008/05)
武田 邦彦

商品詳細を見る

確かに言えることは、「環境問題」を何かの流行と同じように捉えてしまっては本末転倒。
しかし、周囲を見渡した時、マスコミ、メディアは一体何を伝えているだろうか。
「それは本当に正確な情報ですか?」
「皆さんも地球環境のためにできることからやっていただきたいものです」・・・その常に上からものを見ている評論家的目線が気に入らんのよ。そこのメガネのあなたも・・・
ロハスな生活を私達は心掛けていますから・・・」などと胡散臭いコメントをしている人が私の周囲にも多くなってきた。現在に至っては「ロハス」すら何の略語なのか?日本人が勝手に作った造語なのか?それすらも忘れてしまった。

私が全く理解できないのは、「環境問題」と「個人の日常生活の満足度合い(と表現するのが適切なのかは不明)」を一緒の定規で測ろうとしていることだ。
個人レベルで環境にやさしい(このやさしいという表現が間違っていると常々思うが)ことをやるのはそれは各個人の勝手であり、その個人が満足の行くまでとことんやればそれでいい。その個人が何に満足しようが私が感知するところではない。

しかしながら、地球規模での環境問題を考えなければならない時、個人レベルで何をやろうと地球環境は改善されないことだけは確かだ。規模が小さすぎるのだ。
「小さいことからコツコツと・・・」と大半の方は話をしだすのだが、何も現代に生きる人間が1,000年先の世の中のためのことを考えて、500年掛けて環境改善しますという目標(例え)を掲げることが、本当に現実的な問題を解決する上において正しいと言えるのであろうか。

本当に地球環境改善を短期間に(少なくとも今生きている人類が本気でやるならば)行う気があるのであれば、化石燃料を消費するエンジンを搭載した乗り物、飛行機、自動車、バイク等々は全面的に使用禁止、エアコンの使用禁止、等々の対策が講じられるのになぜしない?
それは、今の生活レベルを落としてまで環境問題に取り組みたくないからだ。
それでも流行りものと同じで環境問題を口にしないと社会に受け入れられない風潮が強くなってきている背景もあり、嫌々ながら環境問題に取り組んでいる企業すらあるような気がする。

古紙の利用率改ざん、分別しても結局全て同じ焼却炉で燃やされる現状、財政難でリサイクルするよりもペットボトルを中国に売る地方行政等々、結局、とどのつまり、指標は金なのだ。

おおよそ、私が環境問題に詳しい人(殆どの場合、自称だが)と話をすると、相手は怒り出すのだ。正直、正統な議論にならないことが多い。直ぐに感情的な話になってしまうことが多い。
なぜか?彼らは要するに自分達と考えが合致しない、価値観が違う考えに対しては猛烈な拒否反応を示す。自分達の価値観を傷付けられたと思っているのか?噛み付いてくる人が多い。
それでは真っ当な議論はできない。表に出るのは感情論だ。
仕舞いには、「あなたは環境問題について全く理解されていませんね」などとこれまた上から目線で物申し、「あの人と話をしても無駄だわね」などと今度は排除に掛かるのだ。

自分達がそんなに環境問題(その認識レベルは知らないが)が好きであるのであれば、自分達の価値観の中で勝手にやってくれれば私は何も構わないのに、その価値観を他人に強要してくるのがよくわからない。そんなに大切な価値観なのであれば、他人に何を言われても大切にすればいいものを何を言っているのか?

根拠は何も話さないし、常に表に出すことは感情論なのだ。
科学的な話は何もできない。
価値観が同一であれば同士と呼び、そうでなければ敵と見なす。
そんなことしているから「偽善」っていわれるんですにょ。

やはり、「環境問題」と「ファシズム」は表裏一体の構造だと感じる火曜の朝であった。

マスコミには正確な情報を俊敏に国民に伝達することを強くお願い申し上げます。
(マスコミA・B、報道A・B、君達情けね〜ぞ!しっかり仕事しろ!)

そうだ!そうだ!今宵はNonちゃんの「香家 銀座店」で大送別会だった。
さてさて、どんな演出になるのか?期待しているでやんす!
さて、何人、泣くのか???