先日途中経過を書いた「淳」(土師 守 著)を読み終えた。
家族の悲しみがひしひしと痛いほど伝わり、涙無しには読み終えることはできなかった。
家族だけではなく、学校関係者をはじめとして同じ小学校の生徒さんの悲しみが痛い。
「翼を下さい」・・・淳君が好きだった曲だ。
ここから完全な推論に入る。
犯人として捕まった少年A(当時14歳)の両親は、実は謝罪していない。
何を言われるにしても被害者の家族に謝罪するのが普通だが、しばらく経ってから、それも弁護士に促されて謝罪文を土師家に郵送している。
これはどういうことなのか。
実は、Aの両親は自分の息子は犯人ではないと思っていたのではないか。
その謝罪文も中身も本当の謝罪ではない。
「罪を償う」という意味の言葉がどこにもない。
「自分の息子(A)を更正し、立ちなおさせることが自分たちの使命」のような意味のことしか書かれていない。
これは少年A自身にも言えることなのだが、A自身も被害者に対して「罪を償う」意味の言葉を口にしていない。
この家族自体に「罪の意識」が欠落しているのだ。
悪いことをすれば「ごめんなさい」「すいません」という言葉を出すのが社会生活での基本ではあるが、それがなかった。
恐らく父親にAは叱られたこともなかっただろうし、父親もAを叱ったことがなかったのではないか。
多少の悪さをしても何も言われない。叱られない。
そのうち、どんどんエスカレートして最悪の事態が起きてしまったのではないか。
前回の書き込みで、「主人公になりたかった」「注目されたかった」とか書いたが、Aは実は「誰かに叱られたかった」のではないか。
自分自身の行動を制御してくれる力、威厳、脅威を欲していたのではなかろうか。
最終的に家族では無理だ(家族に求めても何もない)と考えた彼は、社会全体に挑戦状を叩きつける事態に至ったのではないか。
(推論終わり)
何が悪いと問われれば、私は「父親」が悪いと考える。
悪いことを悪い、悪いことをすれば必ず制裁を受けることを教えなかった父親・・・
それと間接的には周囲の大人だ。
特にAについた弁護士、それと名前は忘れたが検察官はけしからん。
彼らにも同じことが言えるのだが、Aに対し「罪の意識」を芽生えさせる言葉を発していない。
更正させることに重点を置いているのだ。
少年法に対する議論は様々な経緯があり、語りつくせないが、加害者の更正に多大な税金を投入し、被害者への補償は何もない。
こんな刑法の中の特別法がまかり通っていいのだろうか。刑法だぞ、刑法。国家が制裁するのだぞ。
いくら少年と言えども、まず最初にやらなければならないのは「罪を償う行為」だ。
そこを無視して「更正、更正」と言っているからおかしくなるのである。
悪いことをしたらまず謝罪し、社会的な(国家から)制裁を受ける。
これが人が人として生きていくための基本ではないのだろうか。
この1ヶ月、「宮崎勤事件」から始まり、「地獄の季節」「少年A」「淳」を読んだ。
不幸にもこのような事件が発生し、被害者の関係者の方々は心に深い傷を負い、苦しまれた。(現在も苦しまれている)
既にこのような事件は私にとっては他人事ではなくなった。
理想論になってしまうが、全ての大人が自分自身の問題として認識しなければいけない。
宮崎勤の事件、少年Aの事件の以後も同類の少年犯罪、凶悪事件が発生している。
もう二度とこのような事件が発生しないように我々大人がしっかり社会全体と関わっていかなければならないとつくづく感じる。
電車の中で悪いことをしている子供を叱りましょう。
(先日、電車の中で着替えている女子高生がいた)
一昔はいましたよ。
「うるさいおやじが」「他人も子供も叩くおやじが」(叩けばいいわけではありません。要するに叱るという意味)
自分には関係ないと思っている大人がそこにいるから、善悪の価値観が子供には伝わらないのです。
現代はそういったチェック機能、抑止力が麻痺しているのです。
それは全て大人の責任です。
私も含め、大人の責任です。
もう少し述べたいこともありますが、この辺で終わります。
長文乱文ご容赦下さいませ。
被害者の方のご冥福を心よりお祈りいたします。
←ひとつカチッとお願いします。
家族の悲しみがひしひしと痛いほど伝わり、涙無しには読み終えることはできなかった。
家族だけではなく、学校関係者をはじめとして同じ小学校の生徒さんの悲しみが痛い。
「翼を下さい」・・・淳君が好きだった曲だ。
ここから完全な推論に入る。
犯人として捕まった少年A(当時14歳)の両親は、実は謝罪していない。
何を言われるにしても被害者の家族に謝罪するのが普通だが、しばらく経ってから、それも弁護士に促されて謝罪文を土師家に郵送している。
これはどういうことなのか。
実は、Aの両親は自分の息子は犯人ではないと思っていたのではないか。
その謝罪文も中身も本当の謝罪ではない。
「罪を償う」という意味の言葉がどこにもない。
「自分の息子(A)を更正し、立ちなおさせることが自分たちの使命」のような意味のことしか書かれていない。
これは少年A自身にも言えることなのだが、A自身も被害者に対して「罪を償う」意味の言葉を口にしていない。
この家族自体に「罪の意識」が欠落しているのだ。
悪いことをすれば「ごめんなさい」「すいません」という言葉を出すのが社会生活での基本ではあるが、それがなかった。
恐らく父親にAは叱られたこともなかっただろうし、父親もAを叱ったことがなかったのではないか。
多少の悪さをしても何も言われない。叱られない。
そのうち、どんどんエスカレートして最悪の事態が起きてしまったのではないか。
前回の書き込みで、「主人公になりたかった」「注目されたかった」とか書いたが、Aは実は「誰かに叱られたかった」のではないか。
自分自身の行動を制御してくれる力、威厳、脅威を欲していたのではなかろうか。
最終的に家族では無理だ(家族に求めても何もない)と考えた彼は、社会全体に挑戦状を叩きつける事態に至ったのではないか。
(推論終わり)
何が悪いと問われれば、私は「父親」が悪いと考える。
悪いことを悪い、悪いことをすれば必ず制裁を受けることを教えなかった父親・・・
それと間接的には周囲の大人だ。
特にAについた弁護士、それと名前は忘れたが検察官はけしからん。
彼らにも同じことが言えるのだが、Aに対し「罪の意識」を芽生えさせる言葉を発していない。
更正させることに重点を置いているのだ。
少年法に対する議論は様々な経緯があり、語りつくせないが、加害者の更正に多大な税金を投入し、被害者への補償は何もない。
こんな刑法の中の特別法がまかり通っていいのだろうか。刑法だぞ、刑法。国家が制裁するのだぞ。
いくら少年と言えども、まず最初にやらなければならないのは「罪を償う行為」だ。
そこを無視して「更正、更正」と言っているからおかしくなるのである。
悪いことをしたらまず謝罪し、社会的な(国家から)制裁を受ける。
これが人が人として生きていくための基本ではないのだろうか。
この1ヶ月、「宮崎勤事件」から始まり、「地獄の季節」「少年A」「淳」を読んだ。
不幸にもこのような事件が発生し、被害者の関係者の方々は心に深い傷を負い、苦しまれた。(現在も苦しまれている)
既にこのような事件は私にとっては他人事ではなくなった。
理想論になってしまうが、全ての大人が自分自身の問題として認識しなければいけない。
宮崎勤の事件、少年Aの事件の以後も同類の少年犯罪、凶悪事件が発生している。
もう二度とこのような事件が発生しないように我々大人がしっかり社会全体と関わっていかなければならないとつくづく感じる。
電車の中で悪いことをしている子供を叱りましょう。
(先日、電車の中で着替えている女子高生がいた)
一昔はいましたよ。
「うるさいおやじが」「他人も子供も叩くおやじが」(叩けばいいわけではありません。要するに叱るという意味)
自分には関係ないと思っている大人がそこにいるから、善悪の価値観が子供には伝わらないのです。
現代はそういったチェック機能、抑止力が麻痺しているのです。
それは全て大人の責任です。
私も含め、大人の責任です。
もう少し述べたいこともありますが、この辺で終わります。
長文乱文ご容赦下さいませ。
被害者の方のご冥福を心よりお祈りいたします。
この記事へのコメント
そうですよね
罪の意識の後
更生はあるものだと思います
ただ更生を言うだけなんて
おかしいと思います
うわべだけの更生なんて
全く意味のない事です
親として悪い事のわかる
判断力をちゃんとしなきゃ
なんて思います。
罪の意識の後
更生はあるものだと思います
ただ更生を言うだけなんて
おかしいと思います
うわべだけの更生なんて
全く意味のない事です
親として悪い事のわかる
判断力をちゃんとしなきゃ
なんて思います。
★tomie さま★
コメント誠にありがとうございます。
価値観や鋭い感覚を育むには相当な努力が必要なのでしょうね。
それは、学校や塾では決して教えてくれません。よっぽどの天才児でない限り、やはり家庭しかないのでしょう。
こんなことを書きながら、滋賀県長浜市では幼稚園児2人が犠牲になっています。
大人が子供を殺めるとはいったいどうなっているのか。
今回書き込んだ事件の背景とは違いますが、大人の短絡的な判断による被害が多くなっています。自制心はどこにいったのか?
コメント誠にありがとうございます。
価値観や鋭い感覚を育むには相当な努力が必要なのでしょうね。
それは、学校や塾では決して教えてくれません。よっぽどの天才児でない限り、やはり家庭しかないのでしょう。
こんなことを書きながら、滋賀県長浜市では幼稚園児2人が犠牲になっています。
大人が子供を殺めるとはいったいどうなっているのか。
今回書き込んだ事件の背景とは違いますが、大人の短絡的な判断による被害が多くなっています。自制心はどこにいったのか?
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