今夜は、妹が入院している病院に泊まっている。
事実上、妹と過ごす最後の夜になる。
私の妹の名前は、「美和」と言う。
父が命名した。
昭和45年4月24日生まれ、現在36歳9ヶ月。
北海道札幌市で生まれた。
私の5つ下になる。
お父さんっ子だった。
私に日本刀を抜く父だったが、妹には甘かった。
これから、まだまだ楽しいことがたくさんあるのに、今回不幸に遭遇してしまった。
実は、これまで何度も命を失いかけている。
3歳だったか、トラックの車体の下に下敷きになった。
トラックの目の前で三輪車で遊んでいたのだが、運転手がそれに気付かず、発車してしまった。
不幸中の幸いか、三輪車が体をガードしてくれて、足と肋骨を骨折したものの、命には別状はなかった。
その運転手が家に謝罪に来た時のことを今でも覚えている。
その運転手、何を考えたか、日本酒をお詫びに持ってきた。
父親はカンカンに怒った。
「酒でごまかす気か?お前ら?」
日本刀を抜き、運転手の鼻の上でとめた。
「頭、丸めろ!」
翌日、その運転手は頭の毛を全て剃ってやってきた。
中学の時には、学校だったか、図書館だったか、ベランダの手摺で友人とふざけていて、3階から転落した。
後でわかったのだが、片足骨折、もう片足を複雑骨折しているのにも関わらず、自分で歩いて病院に行ったそうだ。
常識では考えられないことをやってくれる。
高校の時には、信号のない横断歩道を歩行中、暴走族風の車に接触され、頭部を強打し意識不明になった。
しかし、翌々日、意識が回復し、しばらくすると歩いて帰ってきた。
事故後、その横断歩道には信号機がすばやく設置された。
ここでも、先程と同じく、父の憤慨振りはすごかった。
その車には4人のヤンキー男が乗っていた。
頭はリーゼント。
それを見た瞬間、同じく日本刀を抜いた。
今回は、前髪の直前でとめた。
「頭、丸めろ!」
翌日、その4人組は頭の毛を全て剃ってやってきた。
本当に恐ろしくなっていたのか、玄関で土下座したまま数時間、彼らが動かなかったことを覚えている。
こんなことがあり、親戚連中、友人関係者からは「不死身の姉御」と呼ばれていた。
兎に角、気の強い女だ。
男に生まれてきた方が良かったのではないかと皆に言わせるぐらい気が強い。
その気の強さは父親そっくりで、父親が言っていたことや素振りとそっくりのことがあったので、私も驚いたほどだ。
私よりも気が強い。(私は臆病者)
身長も父親譲りで高い。170センチあるのかな?(父は昭和7年生まれなのに184センチあった)
私が言うのも何だが、スタイルはモデル級で足がめちゃめちゃ長い。
私が横に並ぶと、惨めで仕様がなかった。
北海道で生まれたので、冬にはそりとかで一緒によく遊んだ。
確か、妹が小学生を卒業するまで一緒にお風呂に入っていたと記憶している。
ただ、私が大学に進んでからは、九州を離れたこともあり、妹との距離は離れていった。
彼女も中学、高校と進むにつれて、私と話す機会も少なくなっていた。
年に1度か2度か、帰省した時に話す程度。
妹は高校卒業後、少し時間を置いたと思ったが、飲み屋を経営することになった。
そして13年前、あの豪傑と言われていた父が亡くなる。
お父さんっ子だっただけに相当ショックを受けていた。
父の最期を看取ったのは、やはり妹だった。
私と母は看病の疲れから熟睡していたが、妹だけは父の手を握ってずっと起きていた。
そんな矢先、午前6時に父は息を引き取った。
今気付いたが、父が亡くなった時に既に店をやっていたので、私が思っているより前から今の店はあったんだな?
8年位かと思っていたが、勘違いしていた。
飲み屋でも「ね〜さん!姉御!」と慕われていたそうだ。
男性にも女性にも人気があり、自分より若い人のよく相談に乗っていたそうだ。
しかし、妹は外部には見せないもろい部分があったのは事実だ。
恐らく私しか知らない部分だと思う。
それがわかっていたので、月に1度、2ヶ月に1度程度は電話かメールをしていた。
「元気か?」
それだけで良かった。
気が強いというのは、裏を返せば、自分の弱さを人に見せない最大の防御なのだ。
確かに弱い部分はあった。
「もう少し誰かに甘えろよ」とか言った記憶があるが、妹の中ではそれを許さない何かがあったのだろう。
その強がりのところがかわいくて好きだったのだが。
そんな妹が「脳死状態」なのだ。
「不死身の姉御」と呼ばれた女でも、もう無理な状態だ。
もしこれが映画であったなら、今日の朝になれば朝日とともに目覚め、奇跡が起こるのかもしれない。
しかし、その奇跡が起こる確率はもう殆どゼロなのだ。
昨日来てくれた多くの妹の仲間に対し、面会後、今妹がどのような状況で、今後どうなるのか、全て説明した。
私自身、何でこんなに冷静に説明できるんだと思うくらい、冷静だった。
しかし、私がもし取り乱すと母が混乱する。
筋道だけはしっかりしながら、前に進めないと母の精神状態が持たない。
私も泣きたい瞬間はある。
しかし、それは母の前ではできないのだ。
泣くときはトイレで泣いている。
まさか私より先に逝くとは・・・想像したこともなかった。
歳の順だろが・・・
二人しか兄妹はいないのに、ひとりにすんなよ!
お前の体の臓器を待っている人が4人いる。
精神論的であまり好きな言い回しではないが、お前の体は無くなっても、4人の人の体の中で生きることができる。
それが誰なのかは一生私たちもわからないが、少なくとも人の役に立つことができる。
臓器提供については、もしかするとお前の本意ではないかもしれない。
しかし、そこのところは兄の私の判断に従ってほしい。
あと12時間後、人工呼吸器を止める。
助けられなくて本当に申し訳ない。
機械なら修理できるが、人の脳を取り替えることはできないのだ。
私自身にできることが、命を助けることと逆のことしかできないなんて、生きるということがこんなに残酷なこととは思ったことがなかった。
本当に助けられなくてすまない。
「姉御!あの世で飲み屋でもやって、親父に芋焼酎でも飲ましてやれ!」
「ただし、あの世で親父に会ったら、何しに来たってどやされるぞ!」
私の妹「美和」・・・もう少しで楽になるから、待っててくれ。
明日には、お前が大好きな私の娘のKOTTAも来るぞ。
本当に助けられなくて、ごめんな。
どうしようもないんだ。
俺の辛さも少しはわかってくれるよな。
本当にごめんな。
〜お前の兄より KATANA_ONLY〜
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事実上、妹と過ごす最後の夜になる。
私の妹の名前は、「美和」と言う。
父が命名した。
昭和45年4月24日生まれ、現在36歳9ヶ月。
北海道札幌市で生まれた。
私の5つ下になる。
お父さんっ子だった。
私に日本刀を抜く父だったが、妹には甘かった。
これから、まだまだ楽しいことがたくさんあるのに、今回不幸に遭遇してしまった。
実は、これまで何度も命を失いかけている。
3歳だったか、トラックの車体の下に下敷きになった。
トラックの目の前で三輪車で遊んでいたのだが、運転手がそれに気付かず、発車してしまった。
不幸中の幸いか、三輪車が体をガードしてくれて、足と肋骨を骨折したものの、命には別状はなかった。
その運転手が家に謝罪に来た時のことを今でも覚えている。
その運転手、何を考えたか、日本酒をお詫びに持ってきた。
父親はカンカンに怒った。
「酒でごまかす気か?お前ら?」
日本刀を抜き、運転手の鼻の上でとめた。
「頭、丸めろ!」
翌日、その運転手は頭の毛を全て剃ってやってきた。
中学の時には、学校だったか、図書館だったか、ベランダの手摺で友人とふざけていて、3階から転落した。
後でわかったのだが、片足骨折、もう片足を複雑骨折しているのにも関わらず、自分で歩いて病院に行ったそうだ。
常識では考えられないことをやってくれる。
高校の時には、信号のない横断歩道を歩行中、暴走族風の車に接触され、頭部を強打し意識不明になった。
しかし、翌々日、意識が回復し、しばらくすると歩いて帰ってきた。
事故後、その横断歩道には信号機がすばやく設置された。
ここでも、先程と同じく、父の憤慨振りはすごかった。
その車には4人のヤンキー男が乗っていた。
頭はリーゼント。
それを見た瞬間、同じく日本刀を抜いた。
今回は、前髪の直前でとめた。
「頭、丸めろ!」
翌日、その4人組は頭の毛を全て剃ってやってきた。
本当に恐ろしくなっていたのか、玄関で土下座したまま数時間、彼らが動かなかったことを覚えている。
こんなことがあり、親戚連中、友人関係者からは「不死身の姉御」と呼ばれていた。
兎に角、気の強い女だ。
男に生まれてきた方が良かったのではないかと皆に言わせるぐらい気が強い。
その気の強さは父親そっくりで、父親が言っていたことや素振りとそっくりのことがあったので、私も驚いたほどだ。
私よりも気が強い。(私は臆病者)
身長も父親譲りで高い。170センチあるのかな?(父は昭和7年生まれなのに184センチあった)
私が言うのも何だが、スタイルはモデル級で足がめちゃめちゃ長い。
私が横に並ぶと、惨めで仕様がなかった。
北海道で生まれたので、冬にはそりとかで一緒によく遊んだ。
確か、妹が小学生を卒業するまで一緒にお風呂に入っていたと記憶している。
ただ、私が大学に進んでからは、九州を離れたこともあり、妹との距離は離れていった。
彼女も中学、高校と進むにつれて、私と話す機会も少なくなっていた。
年に1度か2度か、帰省した時に話す程度。
妹は高校卒業後、少し時間を置いたと思ったが、飲み屋を経営することになった。
そして13年前、あの豪傑と言われていた父が亡くなる。
お父さんっ子だっただけに相当ショックを受けていた。
父の最期を看取ったのは、やはり妹だった。
私と母は看病の疲れから熟睡していたが、妹だけは父の手を握ってずっと起きていた。
そんな矢先、午前6時に父は息を引き取った。
今気付いたが、父が亡くなった時に既に店をやっていたので、私が思っているより前から今の店はあったんだな?
8年位かと思っていたが、勘違いしていた。
飲み屋でも「ね〜さん!姉御!」と慕われていたそうだ。
男性にも女性にも人気があり、自分より若い人のよく相談に乗っていたそうだ。
しかし、妹は外部には見せないもろい部分があったのは事実だ。
恐らく私しか知らない部分だと思う。
それがわかっていたので、月に1度、2ヶ月に1度程度は電話かメールをしていた。
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気が強いというのは、裏を返せば、自分の弱さを人に見せない最大の防御なのだ。
確かに弱い部分はあった。
「もう少し誰かに甘えろよ」とか言った記憶があるが、妹の中ではそれを許さない何かがあったのだろう。
その強がりのところがかわいくて好きだったのだが。
そんな妹が「脳死状態」なのだ。
「不死身の姉御」と呼ばれた女でも、もう無理な状態だ。
もしこれが映画であったなら、今日の朝になれば朝日とともに目覚め、奇跡が起こるのかもしれない。
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昨日来てくれた多くの妹の仲間に対し、面会後、今妹がどのような状況で、今後どうなるのか、全て説明した。
私自身、何でこんなに冷静に説明できるんだと思うくらい、冷静だった。
しかし、私がもし取り乱すと母が混乱する。
筋道だけはしっかりしながら、前に進めないと母の精神状態が持たない。
私も泣きたい瞬間はある。
しかし、それは母の前ではできないのだ。
泣くときはトイレで泣いている。
まさか私より先に逝くとは・・・想像したこともなかった。
歳の順だろが・・・
二人しか兄妹はいないのに、ひとりにすんなよ!
お前の体の臓器を待っている人が4人いる。
精神論的であまり好きな言い回しではないが、お前の体は無くなっても、4人の人の体の中で生きることができる。
それが誰なのかは一生私たちもわからないが、少なくとも人の役に立つことができる。
臓器提供については、もしかするとお前の本意ではないかもしれない。
しかし、そこのところは兄の私の判断に従ってほしい。
あと12時間後、人工呼吸器を止める。
助けられなくて本当に申し訳ない。
機械なら修理できるが、人の脳を取り替えることはできないのだ。
私自身にできることが、命を助けることと逆のことしかできないなんて、生きるということがこんなに残酷なこととは思ったことがなかった。
本当に助けられなくてすまない。
「姉御!あの世で飲み屋でもやって、親父に芋焼酎でも飲ましてやれ!」
「ただし、あの世で親父に会ったら、何しに来たってどやされるぞ!」
私の妹「美和」・・・もう少しで楽になるから、待っててくれ。
明日には、お前が大好きな私の娘のKOTTAも来るぞ。
本当に助けられなくて、ごめんな。
どうしようもないんだ。
俺の辛さも少しはわかってくれるよな。
本当にごめんな。
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