今日の午後12時から私の娘が通う幼稚園で「園長先生と語る夕べ」が開催され、私も出席してきた。
「夕べ?」が午後12時?・・・これは絶対に怪しいと思っていたが、やはり怪しかった。
いつの間にか昼食会になっていた。
確か案内状には、「ワインを飲みながら・・・」と書いてあったのにどうなっているのであろうか?
もしかすると、妻の策略か?
そうだとすれば私は完全にはめられたことになる。
その可能性が高い。
「あれ?酒は?ワインは?焼酎は?」
冗談はさておき、年に何度かはこのような企画に参加するのも悪くない。
自分が世間とどれだけずれているか確認するいい機会なのだ。
この「モンテッソーリ幼稚園」なのだが、本当に面白い教育理念の上に成り立っているのだ。
妻が熱心で研究に研究を重ねてこの幼稚園を選んだ。
私はどちらかと言うと反対派だった。・・・何か宗教や哲学めいた胡散臭い匂いがしてきて・・・
しかし、それはこの1年間の娘の成長を見ていると払拭されることになる。
この幼稚園ではものを教えないのだ。
殆どのことが園児たちの自主性に任されている。
園長先生はじめ先生たちは、ただそれを補助しているだけなのだ。
「人間の人格形成は0歳〜6歳の期間に決定される」というのがこの幼稚園の基本方針である。
「三つ子の魂、百まで」とはよく言ったものである。
「平等」という言葉の意味をよく理解していると私も感じる。
そもそも万人平等になる社会など存在するわけがない。
人間生きていれば不平等なのだ。
ただし、勉強したりする機会はほぼ平等に与えられなければならない。
その後、個人差が出てくることはどうしようもないことだ。
今の日本社会、個人差までも平等にしようとするからおかしくなる。
百歩譲って、学校ではまだ運動会で手をつないでゴールしてもいいかもしれない。
しかし、社会に出ればそうはいかない。
昨日まで平等だと思っていたのに、いきなり競争社会に放り出されるのだ。
そりゃおかしくなる人が出てきて当然なのだ。
「自由」と「平等」という言葉を完全に間違ってしまった今の日本教育の世界、如何お過ごしですか?
話が戻るが、小さいときから競争させることが本当に必要だと感じる。
教育を英語では「education」と書く。
「educe」という動詞から来ている。
その「educe」の意味は、「能力を引き出す」という意味なのだ。
教育は教えるものではない。
能力を引き出すものなのだ。
そこを履き違えるから問題が発生するのだ。
「教育とは、目で教えるべし、口で教えるべからず」・・・福沢諭吉
口でいくら教えてもだめなのだ。
大人が手本を子供に見せて教えるのが本当の教育だと昔の人も説いている。
「あなたは子供の手本になれますか?」(世間一般の子供の)
そんな堅い話はいいとして、園長先生との語らいが終了した後、妻と娘に合流し、南町田のグランベリーモールへ向かった。
妻が服、娘が靴を買いたいらしい。
私は何故か名刺入れを買いに行っている。
その理由はここでは書かない。
買い物終了後、6月は妻と娘の誕生日、そして今日は父の日ということでちょっと外に食事に出掛けた。
「マカロニ市場」という名のパスタ屋だ。
何とかコースとやらを食したが、お腹いっぱいでギブアップ。
もう何も入らない状態だ。
それにしても、父の日なのに何もくれなかったな?
物を求めちゃいけません。
娘の一言で十分なのかもしれません。
娘:「来年もパスタ屋さんに連れてきてね!」
食べることに関しては執念深い娘なのでした。
「う〜ん、タクティクス!」
「夕べ?」が午後12時?・・・これは絶対に怪しいと思っていたが、やはり怪しかった。
いつの間にか昼食会になっていた。
確か案内状には、「ワインを飲みながら・・・」と書いてあったのにどうなっているのであろうか?
もしかすると、妻の策略か?
そうだとすれば私は完全にはめられたことになる。
その可能性が高い。
「あれ?酒は?ワインは?焼酎は?」
冗談はさておき、年に何度かはこのような企画に参加するのも悪くない。
自分が世間とどれだけずれているか確認するいい機会なのだ。
この「モンテッソーリ幼稚園」なのだが、本当に面白い教育理念の上に成り立っているのだ。
妻が熱心で研究に研究を重ねてこの幼稚園を選んだ。
私はどちらかと言うと反対派だった。・・・何か宗教や哲学めいた胡散臭い匂いがしてきて・・・
しかし、それはこの1年間の娘の成長を見ていると払拭されることになる。
この幼稚園ではものを教えないのだ。
殆どのことが園児たちの自主性に任されている。
園長先生はじめ先生たちは、ただそれを補助しているだけなのだ。
「人間の人格形成は0歳〜6歳の期間に決定される」というのがこの幼稚園の基本方針である。
「三つ子の魂、百まで」とはよく言ったものである。
「平等」という言葉の意味をよく理解していると私も感じる。
そもそも万人平等になる社会など存在するわけがない。
人間生きていれば不平等なのだ。
ただし、勉強したりする機会はほぼ平等に与えられなければならない。
その後、個人差が出てくることはどうしようもないことだ。
今の日本社会、個人差までも平等にしようとするからおかしくなる。
百歩譲って、学校ではまだ運動会で手をつないでゴールしてもいいかもしれない。
しかし、社会に出ればそうはいかない。
昨日まで平等だと思っていたのに、いきなり競争社会に放り出されるのだ。
そりゃおかしくなる人が出てきて当然なのだ。
「自由」と「平等」という言葉を完全に間違ってしまった今の日本教育の世界、如何お過ごしですか?
話が戻るが、小さいときから競争させることが本当に必要だと感じる。
教育を英語では「education」と書く。
「educe」という動詞から来ている。
その「educe」の意味は、「能力を引き出す」という意味なのだ。
教育は教えるものではない。
能力を引き出すものなのだ。
そこを履き違えるから問題が発生するのだ。
「教育とは、目で教えるべし、口で教えるべからず」・・・福沢諭吉
口でいくら教えてもだめなのだ。
大人が手本を子供に見せて教えるのが本当の教育だと昔の人も説いている。
「あなたは子供の手本になれますか?」(世間一般の子供の)
そんな堅い話はいいとして、園長先生との語らいが終了した後、妻と娘に合流し、南町田のグランベリーモールへ向かった。
妻が服、娘が靴を買いたいらしい。
私は何故か名刺入れを買いに行っている。
その理由はここでは書かない。
買い物終了後、6月は妻と娘の誕生日、そして今日は父の日ということでちょっと外に食事に出掛けた。
「マカロニ市場」という名のパスタ屋だ。
何とかコースとやらを食したが、お腹いっぱいでギブアップ。
もう何も入らない状態だ。
それにしても、父の日なのに何もくれなかったな?
物を求めちゃいけません。
娘の一言で十分なのかもしれません。
娘:「来年もパスタ屋さんに連れてきてね!」
食べることに関しては執念深い娘なのでした。
「う〜ん、タクティクス!」
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